チェルノブイリ支援ネットワーク訪問記~ベラルーシ・ミンスク・ブレスト・ゴメリ~事故後30年特別活動

田中 仁

ベラルーシ大学ジャーナリスト学部4回生、

2016年4月26日、チェルノブイリ原発事故発生から30年がたちました。この30年目の節目に4月17~24日の期間、日本からチェルノブイリ医療支援ネットワーク«CMN»(Chernobyl Support Medical Network)の団体がベラルーシを訪れました。福岡に本部があるCMNは1991年より自身の活動を開始し、現在も毎年ベラルーシを団体訪問し、医療支援を行っています。今年(2016)の事故後30年特別訪問メンバーは5名です。日本医科大学名誉教授の清水一雄先生に獨協医科大学准教授・地球環境科学博士の木村真三先生、日本医科大学付属病院病理部技師長の渡曾泰彦先生、CMN代表の河上雅夫氏、そしてロシア語医療通訳・CMN顧問の山田英雄氏です。そして今回は福岡のテレビ局 «FBS» の取材班もCMNのベラルーシでの活動をリポートするため同行しました。現地の大学生の身である私もロシア語通訳として彼らと行動を共にする機会に恵まれました。

長崎の鐘~ミンスク赤の教会(カトリック)

ミンスク(Минск

 2016年4月16日、夜10時過ぎにCMNの団体が«FBS»の取材班とともにベラルーシの首都・ミンスクに到着しました。翌17日の朝、«FBS»の取材班はミンスクの中心地にあるカトリック教会《赤の教会》に行き、そこの敷地にある《長崎の鐘》を撮影しました。《長崎の鐘》はこのミンスクの教会に日本の長崎にある浦上天主堂から2000年に贈られたもので、鐘の下には放射能被害にあった広島、長崎、福島の土が入ったカプセルも埋められています。

―ブレスト(Брест

 その後、CMNの団体と合流して私たちは列車に乗ること4時間、ブレスト州へと移動しました。ブレストのターミナル駅で迎えてくれたのは福岡のCMNが長いこと提携しているブレスト内分泌診療所のアルトゥール・グリゴーリヴィッチ院長とヴラジーミル・シブダ医師でした。

4月18日・月曜日、医療支援ネットワークCMNのメイン活動が始まりました。午前9時にブレスト州立病院を訪れ、院長のアレクサンドル・カルピツキ―氏らとあいさつを交わした後、清水先生はは一人の女性患者エレーナ・アレクサンドロヴナさんと面会しました。エレーナさんにはチェルノブイリ事故後の放射能の影響とみられる腫瘍が甲状腺にあり、清水先生が除去手術を行うことになっていました。清水先生は甲状腺腫瘍除去の内視鏡手術の発明者で、2009年から定期的にブレストでこの手術を行い、患者さんを救うとともに自身の医療技術を現地の医師たちに伝えています。この内視鏡手術により術後は傷跡が目立たず、女性の患者さんにとってはとても重要な役割を果たしています。

エレーナさんの診断後、清水先生とブレストの医師たちは手術室に向かいました。日本からのメンバー全員もそこへの入室とオペの撮影が許可されました。私は初めて実際のオペを拝見することになりました。皆が注目するなか、10時半に清水先生執刀の手術が始まりました。進行状況を丁寧に説明しながら、オペをする清水先生の技術をブレストの医師たちも真剣に見つめます。日本とベラルーシの医師のやり取りは、自身もモスクワの医療大学を卒業した山田氏が通訳します。今回の手術、隣り合う腫瘍と神経の形が似通っていて、それを見極めるのに慎重にならざるをえませんでした。そんな緊張した状況でも、百戦錬磨の清水先生は落ち着いて対処していきます。『もし、神経や声帯のほうを切って傷つけてしまうと、大出血して声が失われてしまう恐れがあります。ですので、これが腫瘍かどうかを完全に見極めるまでは切除にはとりかかりません』と清水先生は根気強く腫瘍と神経を見分ける作業を続けます。手術室には清水先生お気に入りのロシア民謡『トロイカ』が日本語で響きます。その清水先生の歌声はこの緊迫した状況でも私たちに絶対の信頼と安心感を与えてくれます。そして『見つけました』と言い、清水先生は腫瘍を取出し、2時間に及ぶ手術を成功させました。『今度ここでオペをするときは、ベラルーシ人にも分かるようにロシア語で《トロイカ》を歌えるよう頑張ってみよう!』と清水先生は現地の人たちとのコミュニケーションを深めることにも力を入れています。

昼食後、かつて清水先生の手術を受けた患者さんたちがCMNのメンバーたちを尋ねました。最初に来た英語教師として働いているスベトラーナさんは、ほとんど目立たないオペの跡を見せながら、清水先生の手術のおかげで人生がとてもすばらしくなったと感謝していました。次に訪れたアリョーシャさんはご主人と2歳のお子さんと一緒にあいさつに来ていて、その幸せな様子はやはりこのCMNのメイン活動でもある医療支援(ベラルーシでの清水先生執刀による内視鏡甲状腺腫瘍除去手術)がチェルノブイリ事故で被害を受けた人々の大きな助けとなっていることを物語っています。

翌19日の午前10時、CMNのメンバーはブレスト内分泌診療所で院長のアルトゥールさんとともに記者会見に臨みました。ベラルーシの大手新聞社、テレビ・ラジオ局、通信社のジャーナリストが多数押し寄せて福岡のCMNとブレストの医療機関の長年の提携関係・活動についての質問がとびかいました。ベラルーシの人々にとっても同じ放射能事故の被害を受けたなかで、助け合ってきたこの両者・両国の関係には注目が集まります。

彼らの取材を受けた後、CMN メンバーは11時過ぎにブレスト州立病院に行き、前日に清水先生の手術を受けたエレーナさんを見舞いました。エレーナさんはとても感動した様子で、清水先生、彼の施術を受ける機会を与えてくれたCMN、そしてこの活動を支えてくれている日本の方々に感謝していました。

昼食後、再びブレスト内分泌診療所に戻り。今度は日本のテレビ局FBSのインタビューにアルトゥール院長がこたえてくれました。アルトゥールさんは20年に及ぶCMN メンバーとの協力関係、友情などを詳しく語ってくれました「清水先生の施術の他にも、CMNは日本から質のいい医療器具を提供してくれたり、ベラルーシの医師を日本への研修に招いてくれたり、放射能問題解決、医療支援向上において重要な支援をしてくれています」。日本から贈られた医療器具の使用法、検査をブレスト診療所で教授してきたのは渡曾先生です。渡曾先生も独学でロシア語を学び、ベラルーシの同僚たちとの意思疎通、友好に努めています。「こうしたCMNの皆さんの支援のおかげで、ベラルーシではこのブレスト診療所が高性能医療器具による甲状腺がん早期発見、その腫瘍の摘出手術の技術の高さなどで有名で、遠方からも放射能被害の疑いのある人たちが我々のところに送られてきます」とCMNの協力に感謝しながらアルトゥール院長は言います。

― ゴメリ(Гомель)―

20日午前、私たちは次なる活動拠点ゴメリ州に向かいます。ゴメリでは清水先生と木村先生が21-22日の国際シンポジウム《現代放射能医療問題~チェルノブイリ事故30周年記念学会》に参加予定でした。ブレストから9時間ほど列車にゆられて、ゴメリのターミナル駅に到着したのは19時半でした。迎えの車で向かったのはシンポジウムが行われる《放射線医学と人間エコロジーのためRepablican科学センター》で、そこの来客用宿泊施設に2泊することになりました。

21日午前10時、国際シンポジウム《現代放射能医療問題~チェルノブイリ事故30周年記念学会》が始まりました。主催者側《ベラルーシ保健省》、《ベラルーシ科学アカデミー放射線生物学研究所》、《ベラルーシ緊急事態省》の代表者挨拶の後、参加者(ベラルーシ、ロシア、ウクライナ、フランス、日本)の発表に移りました。

13時過ぎ、清水先生が《放射能の影響と甲状腺癌~福島事故の影響とチェルノブイリ事故後からのベラルーシの経験》 というテーマで発表。清水先生がベラルーシで過去に手術を行った患者さんたちの今の幸せそうな表情がスライドで見せられると、会場からあたたかい拍手が起こりました。

昼食をはさんで午後3時、今度は木村先生が環境科学の専門家として《福島汚染除去~実際の条件と措置》のテーマを発表。自身の研究結果、福島の汚染状況を示すグラフ等を示すと、聴衆者たちは恐ろしく真剣な表情でその事実を見ていました。チェルノブイリ事故の被害を大きく受けたベラルーシの人たちにとっては福島の事故には無関心でなく、同じ状況にある日本の人たちにとても同情をよせています。

22日午後18時私たちはゴメリからミンスクへ戻りました。出発前にその日が誕生日だった清水先生に《放射線医学と人間エコロジーのためRepablican科学センター》のメンバーからベラルーシのおみやげが手渡されました。思いがけない誕生日プレゼントにそこにいる皆が自然とあたたかい笑顔に包まれました。木村先生はゴメリに残り翌日、自身の重要研究拠点のひとつのウクライナ・キエフに向かいました。木村先生は福島でも放射能影響の研究を続けていて、「大事なのは問題の本当の原因を見極め、その解決のために真実を見つること」と常に汚染地域での事実解明に努めています。

 

― ミンスク(Минск)―

22日、夜中近くにミンスクに戻り、翌23日は朝9時過ぎに医療支援ネットワークCMNと長年、提携・協力関係を結んでいるベラルーシ赤十字を訪れました。CMN代表の河上氏と赤十字総裁のヴィクトル・ヴァシーリビッチ氏は今後もお互いの提携・協力関係を継続・発展させていくことで意見が一致しました。

そして11時過ぎにCMNのプログラムでかつて日本に行ったことがある二人のベラルーシ人女性がメンバーを訪問しました。ひとりはチェルノブイリ事故の近くに位置するグリシコーヴィッチ村出身のリュドミーラ・アンドレ―ヴナさんで、彼女が20年以上前にチェルノブイリの悲劇を綴った作文が日本でも訳され、多くの人の心に深く残っています。もうひとりは92年に甲状腺手術を受けたリュドミーラ・ウクラインカさんで、現在は心理学者として自身が受けたのと同じような経験をしている人たちの支えとなっています。彼女たちはCMNの団体がミンスクに来るたびに、メンバーにあいさつに伺ってくれています。このようにして今も日本とベラルーシの人々の友情はCMNの活動の範囲で強くなっています。活動開始当初からのメンバーであるCMN代表の河上氏と山田医療顧問・通訳は双方の友好関係がここまで続いてきた理由をこう説明しています「私たちベラルーシ人と日本人の協力・助け合いはお互いそれぞれの友好関係に成り立っています。我々は何よりも人と人との関係を大事にします!」。

2016年4月24日、チェルノブイリ事故30年の特別な活動を終え、CMNの団体とFBSの取材班は日本へと発ちました。

この活動の模様は福岡FBSチャンネルで放送されるのでより多く日本の人たちがCMNのチェルノブイリ支援活動、日本とベラルーシの協力関係をより深く知れる機会となります。プロフェッショナルな日本のジャーナリストとともに、チェルノブイリに関したインタビューをさせてもらった多くのベラルーシ人ひとり一人の表情はとても印象深いものでした。

今回の一緒に行動をともにしたのは男性ばかりの8人― CMNのメンバー5人、 FBSのジャーナリスト2人、そして現地から参加さえてもらった自分。一つの目的を通してメンバー、そして活動過程で知り合うベラルーシの人々とのお互いの心が近くなる友情のような美しさをおぼえ、とても長く感じた7日間。このような経験をさせてもらったCMN の団体とFBSの取材班、そしてこの活動を支えてくれている日本の方々にはベラルーシ人と一緒になって本当に感謝です。

2016年6月6日、ベラルーシ大学ジャーナリスト学部4回生、田中 仁

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